あり得る?
ちょっと前、誰かが書いた講義の最後に提出する感想文をちらっと目にしたら、(笑)とか顔文字が使ってありました。・・・私の感覚でいくとあり得ないんですけど・・・。こうゆうのって、なんかこう、もっとフォーマルなものやと思ってるんやけど。私が遅れてるんやろかね??
コメント
先生と生徒の仲が良いのはええことやけど、でも講義やよー?プライベートでの会話とかメールとかやったらまだわからんでもないけどさ。人によって価値観はさまざまやっちゅうことやね。
いや~、講義の感想文で「(笑)」とか顔文字を使うことは有り得ないな~と思います。内容の問題ではなく、形式の問題となってしまいますが、やはりそれは有り得ないと思います。
たとえ仲が良くても、使うべきではないでしょう。少なくとも、公の授業(正式なカリキュラムとして組まれている場合)では使うべきではないと思います。課外活動だとか、私的な集まりなど打ち解けた場で、そこで感想を求められた場合なら許されるだろうし、むしろ好まれるかもしれません。ただ、公の授業は、飽くまで公だから、公式なものを提出するべきだと思います。
「(笑)」とか顔文字を使うことが、「先生と生徒が打ち解けている」を意味するわけでもないと思います。一見そう見えるのですが、書く側(つまりこの場合は生徒・学生)がそのような感想文を書くのは、おそらく公的な場と私的な場の区別をつけていないということが考えられると思います。たとえその授業では打ち解けた感想文を書くことがまかり通っていても、それ以外の場では、そんなことがまかり通らないことが多いはずです。そういったことを忘れさせないためにも、書かせる側(教官や先生)も呼応的な姿勢を期待すべきです。ごく少人数の、例えばゼミなどで、教官が、「感想文は気楽に書いていいよ」などのように言うなら別ですが、そうでなければ公的な姿勢を持って感想文を書くべきでしょう。授業というのは、少なくとも大学生が講義を受けているという場合は、公的なものであると思います。
しかしながら、文の内容のみを評価される場合は認められるかもしれません。「(笑)」や顔文字を使って、その意味が分からないかというと、そうではないでしょう。それらの記号が意味することは、およそ理解できる範囲内であることが多いです。
また、ある意味で「(笑)」や顔文字は非常に便利でもあります。これらの記号を使うことで、もちろん打ち解けた感じを文に添えることも出来ますし、書き手としての心情を強く示すことが出来ます。また、読む側としても、文を読むだけでは得られない書き手の表情や心情を読み取る事も容易になるでしょう。
しかし、そういった表情や心情は、公的な場では、文章や言葉で示すべきなのだと思います。そうでなければ言葉は発達しないだろうし、そのうちいろんな言葉が「( )」の中に一文字で括られるだけになったり、顔文字だらけのレポートなんかも出てくるかもしれません。
公的な場で使われる言葉というのもあります。そういった言葉は、必要であるから作られ、使われているのだと思います。それらの言葉が使われなくなり、やがて消えてしまうのが自然だと言えるほど、世の中は変わらないと思います。
いつだって「公」と「私」は区別されるべきだと思います。
長いコメントを読んでいただいてありがとうございます。
あぁ~、間違えちゃった。↑↑↑
三段落目の、上から六行目
「書かせる側(教官や先生)も呼応的な姿勢を期待すべき」
は、
「書かせる側(教官や先生)も公的な姿勢を期待すべき」
ということです。ごめんちゃい~m(_ _)m
(↑ 打ち解けてます)
そやよね~。このゼミノートやったら、書き込んでるのは基本的に英語科の人間やから(そうじゃない人もおるし、それは大歓迎なんやけど)、顔文字やろが(笑)やろが好きなだけ使ってもろてかまわんのさな。私も方言ばりばりで書いてるし。コミュニケーションが自然になるからそれでいいんよな。
でも講義は別のはず。フォーマルな場面で正しく言葉を使わへんだら、一体いつ使うんやろう??って思う・・・。
このことって「タメ口」にも通じる問題やと思うんよ。敬語までいかんでいいけど丁寧に言うべきやろーっていう場でタメ口を使ってる人を見るときがあります。学務でもそうやし、レジとか駅とか・・・。「なんでこっちがへりくだらないかんのさ」って思う人もおるかもしれんけど、礼儀をもって人に接するっていうのは当然のことやよね。相手に不愉快な思いをさせへんためにも言葉遣いはきっちりすべきやと思います。大学おる間は見過ごしてもらえても、社会に出て困るのは自分やからね。
分かったようなこと書いたけど、よく家族から言われることです(´(Å)`)←打ち解けてみた
>…一見そう見えるのですが、書く側(つまりこの場合は生徒・学生)がそのような感想文を書くのは、おそらく公的な場と私的な場の区別をつけていないということが考えられると思います。たとえその授業では打ち解けた感想文を書くことがまかり通っていても、それ以外の場では、そんなことがまかり通らないことが多いはずです。
すげーな、だいじろうくんの言う通りやわ!公私の区別って大切やな。
>礼儀をもって人に接するっていうのは当然のことやよね。
これもまたすごい!!確かにその通り。自分が頼んでいる側やのに、礼儀がないのはいけない!
うーん、みんなの考え、参考になりました。公私がない世の中になってしまうと、礼儀もへりくだりもなくなってしまうかもしれない…。
まぁ、確かにそうやけど。。別にその人が書きたかったら書いたらええんちゃうのー?と思ってしまいます。それで、教官があかんと思ったらその感想はだめだったのではないのかい?そんな他人のふりしてわがふりなおせ。ってことで私も気をつけようっと。
他人のふりしたらあかんで!(笑)他人のふり「見て」我がふりを直すのよー。
あゆちゃんとゆっこおもしゃいな(笑)めちゃ笑ってしまったわ:)
ああぁ!!ほんまやわ。。。っとにせっかくええ事書いてもぶちこわしやわな。
うーん、先生と生徒が親しい関係だったから‥‥でもないか。そんなこともあるんや。(笑)という文字をあまり使ったことがないから、書いた人の心の内がピンとこやんなー。でも今は講義の感想で、書き言葉として使ったりするのかー。